泳ぎ切れなかった一日と、動き続けた時計「ロレックス・オイスター」

泳ぎ切れなかった一日と、動き続けた時計「ロレックス・オイスター」

1920年代の腕時計は、裏蓋の合わせ目や、ぜんまいを巻くつまみの根元から水が入り、錆びて止まりました。その隙間をねじで締めて塞いだのが、1926年に発売されたロレックスの「オイスター」です。本記事では、その一本を首から下げて英仏海峡に入ったマーセデス・グライツェの10月21日と、彼女が泳ぎ切れなかったあとに残された時計をたどります。

目次

腕にむき出しで着けた時計は、裏蓋の合わせ目とつまみの軸穴から水に負けた

腕にむき出しで着けた時計は、裏蓋の合わせ目とつまみの軸穴から水に負けた

1920年代、時計はポケットの中から手首の上へ移りつつありました。この時期の腕時計は、すでに珍しい品ではありません[1]。持ち方が変わったこと自体は、便利さの話です。片手をふさがずに時刻を読めるようになりました。

ところが、置き場所が変わったことで、それまで表に出なかった弱点が現れます。ポケットの中の時計は布に包まれ、雨や汗に直接さらされることはめったにありませんでした。手首の上では、そうはいきません。

水は、三つの場所から入った

当時のケースには、水の入口が三つありました。裏蓋を本体にはめ合わせた合わせ目、文字盤を覆うガラス(風防)の縁、そして側面のつまみからケースの内側へ伸びる軸が通る穴です[2][3]

入ってくるのは水だけではありません。汗と埃も同じ隙間を通ります。ロレックスの創業者ハンス・ウィルスドルフは1927年に、埃が油に混ざることで時計の精度が落ちると述べたと、同社の記録は伝えています[4]。錆びて止まるより前に、時計はまず狂い始めるわけです。

いちばん塞ぎにくかったのは、毎日回すつまみだった

ぜんまいを巻いたり、時刻を合わせたりするために回す側面のつまみを、時計の世界ではリューズと呼びます。合わせ目や風防の縁は、部品同士を密着させれば塞げます。リューズだけは事情が違いました。

つまみから伸びる軸——巻真といいます——は、ケースの壁を貫いて内側の歯車につながっています[5][6]。しかも、回らなければ意味がありません。毎日開ける必要のある扉を、閉じているあいだだけ水密にする。これがリューズの課題でした。

密閉したケースを作る試みは、オイスターの35年前から続いていた

密閉したケースを作る試みは、オイスターの35年前から続いていた

水を止めようとした人は、ロレックスより前にいます。しかも一人ではありません。特許の記録をさかのぼると、19世紀の終わりから、ケースを密閉するための工夫が繰り返し出願されていました。

1891年、ボルジェはケースの合わせ目そのものをなくそうとした

1891年11月18日、フランソワ・ボルジェは米国で一つのケース特許を出願します。公開は翌1892年7月12日でした[7]

考え方は、隙間をふさぐことではなく、隙間を作らないことです。本体と裏側を別々の部品として合わせるのではなく、ムーブメント(時計の機械部分)を載せた枠をケース本体へねじ込む。合わせ目の数そのものを減らす構造でした[7][8]

1917年、ドポリエは水に沈めることを前提に設計した

チャールズ・L・ドポリエは1917年10月6日、腕時計のケース特許を出願しています。公開は1918年6月11日[2]。この特許が想定していたのは、水滴や湿気ではなく、時計そのものを水に沈めることでした[2]

彼はその5か月後に、もう一つの特許を出しています。1918年3月18日出願、1919年1月28日公開。こちらは巻真の周囲を密閉するための機構でした[3]。1910年代の終わりには、最も塞ぎにくい穴をどうするかという問いに、すでに答えの一つが出されていたことになります。

「世界初」がいまも決まらないのは、基準が一つではないから

ロレックスは自社史で、オイスターを「世界初の防水腕時計」と位置づけています[9]。一方で、ドポリエの時計を「世界初の防水時計」と呼ぶ記述も、別のブランドの資料や研究者のページにあります[10][11]

二つは矛盾していません。違うのは基準です。仕組みを先に考えついたことを最初とするのか、誰でも買える製品として売り出したことを最初とするのか、それとも人前で示したことを最初とするのか。三つの基準は、それぞれ別の名前を最初の位置に置きます。本記事は、オイスターの功績を「機構をひとつにまとめ、市販し、公開の場で示したこと」に置きます。

リューズの特許を最初に取ったのは、ロレックスではなかった

密閉ケースに残っていた最後の穴は、リューズでした。そこを塞ぐ機構の特許を最初に取ったのは、ロレックスではありません。

1925年、ペルゴーとペレがねじ込み式リューズを出願した

1925年10月30日、ポール・ペルゴーとジョルジュ・ペレの二人が、スイスで巻き上げ時計の特許を出願します。番号は CH114948、公開は1926年5月17日です[5]

内容は、リューズにねじを切り、ケース側から伸びた管へねじ込んで締めるというものでした[5]。使うときだけ緩めて回し、使い終えたら締め直す。オイスターのリューズが採っているのと同じ考え方です。

ウィルスドルフが足したのは、締めたときに軸が外れる仕掛けだった

ハンス・ウィルスドルフ名義の特許 CH120848 が出願されたのは1926年10月18日、公開は1927年6月16日です[6]。出願(申請を出した日)と公開(内容が公表される日)は別のもので、この二つのあいだには8か月ほどの間があります。

加えられていたのは、締めたときにリューズと巻真の連結が外れ、緩めるとばねの力で再びつながるという仕掛けでした[6]。締め込んだ状態でつまみに力がかかっても、内側の歯車には伝わりません。機構そのものの新しさではなく、毎日使う道具として成立させるための一手です。

権利がどう移ったのかは、特許の記録からは読み取れない

ロレックスが先行特許を取得した、という説明は、時計専門メディアやオークションハウスの記述に見られます[12][13]。ただし、特許そのものの公開記録から権利の移転をたどることはできませんでした[5]

ですから本記事は、「取得したと説明されている」という書き方にとどめます。確かなのは、出願の日付の順序だけです。先に出したのはペルゴーとペレで、あとから出したのがウィルスドルフでした[5][6]

オイスターは完成したが、その性能は工房の外では証明できなかった

オイスターは完成したが、その性能は工房の外では証明できなかった

1926年、ロレックスは密閉ケースの腕時計を発表します[9][14]。ここまでに出てきた工夫が、一つのケースの上でまとめられました。

リューズ・ベゼル・裏蓋を、それぞれねじで締めた

締めたのは三か所です。側面のリューズ、文字盤を覆うガラスを押さえる外周のふち(ベゼル)、そして裏蓋[9][14][6]。いずれも、ねじで締め込むことで隙間をなくす方式でした。

ロレックスはこのケースを、固く閉じた牡蠣の殻になぞらえて「オイスター」と名づけています[14]

当時の広告は “waterproof” と言い切っていた

発売当時の広告は、この時計を “waterproof” と表現していました[9][14]。日本語にすれば「防水」ですが、語の作りとしては「水を通さない」に近い、言い切りの表現です。

現在、この語が時計の広告に使われることはほとんどありません。なぜ消えたのかは、最後の章で扱います。

ここから先が、1926年の時点で残っていた問題です。ケースが水を止めることを、作った側は知っています。工房の水槽に沈めて見せることもできます。ただ、それを見た人の数だけしか、その事実は伝わりません。足りなかったのは水を止める方法ではなく、水を止められると信じさせる方法でした。

1927年10月7日、勤めを辞めた秘書が15時間15分で海峡を渡った

1927年10月7日、勤めを辞めた秘書が15時間15分で海峡を渡った

その方法は、時計とはまったく関係のない場所で起きた出来事から現れます。

1927年10月7日、フランス側の岸から泳ぎ出した一人の女性が、15時間15分かけてイングランドへ渡りました[15]。8度目の正式な挑戦です[16]。上陸したときには霧が出ていたと伝えられます[17]

ブライトンに生まれ、ロンドンで働き、7月に職を辞した

マーセデス・グライツェは1900年、イングランド南岸のブライトンに生まれました。ドイツからの移民の家の三女です[16][18]。1920年代の初めにはロンドンのウェストミンスターで、英語とドイツ語を扱う秘書として働いていました[16]

海峡への初挑戦は1922年です[16]。以後、勤めを続けながら挑戦を重ね、1927年7月に訓練へ専念するため職を辞しています[16]。このときの彼女は、専業の競技者ではなく勤め人でした。

女性で最初に泳いだのは、前年のアメリカ人だった

女性として初めて英仏海峡を泳ぎ切ったのは、グライツェではありません。1926年8月6日に、アメリカのガートルード・エダリーが先に達成しています[19]

グライツェが最初だったのは、英国人女性としてです[15][20]。二つは似ていますが、別の記録です。本記事もこの区別を保って書きます。

この日、時計はまだ登場しない

10月7日の泳ぎにロレックスの時計が同行したことを示す資料は、見つかりません[21][22]。現存する実機の裏蓋に刻まれている日付も、10月7日ではなく10月21日です[21][22]

ロレックス自身の記述は、この二つの日を一続きの出来事として短くまとめています[9]。本記事は、日付を分けて書きます。時計が海に入ったのは、2週間後の再挑戦のほうでした。

数日後に届いたもう一つの成功報告は、本人の口から嘘だと明かされた

数日後に届いたもう一つの成功報告は、本人の口から嘘だと明かされた

グライツェが渡ってから数日のうちに、新聞にはもう一つの成功報告が載ります。別の泳者が、海峡を渡ったと申告したのです[23][24]

ロンドンの医師が、偽名で約13時間の横断を申告した

申告したのは、ロンドンで働く医師のドロシー・コクレイン・ローガンでした。本名ではない名前を使い、所要時間はおよそ13時間と伝えられました[23][24][25]

公称の時間は、13時間10分とも13時間12分とも書かれています。本記事は「約13時間」としておきます。彼女はこの記録に対して、新聞社が出していた賞金を受け取ったとされます[23][24]

暴かれたのではなく、本人が公表した

数日後、この記録は取り消されます。取り消したのはローガン本人でした。実際に泳いだのは約4時間ほどで、残りは船の上にいたと、自ら明らかにしたのです[23][24]。1927年10月16日には、ニューヨーク・タイムズが本人が偽りを認めたと報じています[26]

第三者が調べ上げて突き止めたのではありません。受け取った賞金は返され、その後、虚偽の宣誓をめぐって夫とともに罰金を科されたとされます[23][24]

本人は、立会人がいなければ簡単に偽装できると示すためだったと説明した

ローガンは、自分がなぜそうしたのかについて説明を残しています。立会人のいない記録が、いかに簡単に偽装できるかを示すためだった、というものです[23][24]

この説明が本当かどうかを、いま確かめる方法はありません。本記事が書けるのは、本人がそう説明した、というところまでです。ただし、その説明が指していた状態そのものは、当時たしかに存在していました。

泳ぎを確かめる仕組みがなかったため、疑いは本物の記録にも及んだ

泳ぎを確かめる仕組みがなかったため、疑いは本物の記録にも及んだ

一つの申告が取り消されたことは、一人の問題として終わりませんでした。立会人のいない横断記録は疑わしいという空気が生まれ、疑いは同じ月に泳ぎ切ったグライツェへも向かいます[17][24][18][25]

疑ったのは報道と世間です。彼女の記録が公式に取り消されたわけでも、資格が剥奪されたわけでもありません。

グライツェの泳ぎも、立会人が記録に残っていない

いま残っている10月7日の記録には、日付と所要時間、そしてフランスからイングランドへという向きが書かれています[15]。一方で、伴走した船、操船した人、立ち会った人の欄は、いずれも不明のままです[15][27]

「誰が見ていたのか」と問われたとき、答えられる名前が残っていません。これは彼女に固有の事情ではなく、1927年の海峡横断の標準的な状態でした。

チャンネル・スイミング・アソシエーションは、同じ1927年に生まれた

海峡横断の記録を認定する団体、チャンネル・スイミング・アソシエーションが設立されたのは1927年です[28]。設立の趣旨として掲げられたのは、人工的な手段や調査の不足によって記録の価値が損なわれるのを防ぐことでした[28]

現在この団体が記録として認めるには、登録した泳者であること、公式の立会人が乗っていること、登録された操船者の船が伴走していることが条件になります[28]。名前と手順が、あとから確かめられる形で残るということです。

設立の年は同じですが、団体自身はローガンの申告との因果を明示していません[28]。確かなのは、1927年の秋には、泳ぎを確かめる仕組みがまだなかったということです。

10月21日、彼女は報道陣に囲まれて海に入り、時計を首から下げた

10月21日、彼女は報道陣に囲まれて海に入り、時計を首から下げた

10月7日から2週間後の10月21日、夜明け前。グライツェはもう一度、海に入りました[21][22][20]

この日の目的は、泳ぎ切ることではなく、見られながら泳ぐことだった

この日の海には、記者と目撃者を乗せた船が並んでいました[17][24][29]。前回の泳ぎに欠けていたのは泳力ではなく、見ていた人の数と名前です。それを埋めるための一日でした。

現存する実機の裏蓋には、”Vindication Channel Swim”(潔白を示すための海峡横断)と刻まれています[21][22]。この呼び名は、後世の解説が付けたものではなく、当時の物に残っているものです。

時計は腕ではなく、細いリボンで首から下げられた

この日、グライツェはロレックスの時計を身につけて泳いでいます。ただし手首ではありません。細いリボンで、首から下げていました[21][22][17]

なぜ腕ではなかったのかを説明する当時の記録は、本記事の調査では見つかりませんでした。分かっているのは、腕に着けたのではない、という一点です。

その時計は、指先に収まる大きさの八角形だった

その一本は、ロレックスの ref.34075 という型です。9カラットの金(金の含有率が約37.5%の合金)でできた八角形のケースで、大きさは31×27ミリ[21][30]。ケースからベルトへつながる耳は、針金を曲げた細いものでした[21]

文字盤はピンクがかった金色で、黒いアラビア数字が並び、6時の位置に小さな秒針の目盛があります。中身は17石——軸受けに宝石を使った箇所が17か所ある——の手巻きです[21][30]。ベゼルには滑り止めの刻みが入り、裏蓋とリューズはねじ込み式でした[21]

裏蓋には “patent applied for”(特許出願中)とも刻まれているとされます[31][22]。この記述に従えば、特許がまだ下りていない段階の一本だったことになります。ウィルスドルフの改良特許が公開されたのは、1927年6月でした[6]

10時間24分後、ドーバーを数マイル残して彼女は引き上げられた

10時間24分後、ドーバーを数マイル残して彼女は引き上げられた

10月21日、海の上の時間は10時間を超えました。

伴走したのは、船と、伝書鳩と、歌だった

泳者のそばには引き船が付き、記者と目撃者を乗せていました[17]。2時間ごとに伝書鳩が放たれ、書かれたばかりの原稿を編集部へ運んだと伝えられます[17]。小舟には楽団が乗って演奏し、のちに船酔いのため下がったとも記されています[17]

支援者たちは賛美歌と愛国的な歌を歌ったと伝えられます[17]。上空には、新聞社が空撮のために手配した飛行機が飛んでいました[17][31]。泳ぎを見せるための装置が、海の上にひととおり並んでいたことになります。

本人の記録では、海水は約10.6〜14.4℃だった

この日の水温として伝えられているのは、華氏51度から58度、摂氏でおよそ10.6度から14.4度という値です[31][32]

ただし、この数値の出所は一つしかありません。泳ぎの4日後にグライツェ自身が書いた手紙です[31][32]。誰かが海の上で測って記録に残した数値ではない、という点は押さえておく必要があります。

摂氏10度台前半の水の中に10時間以上とどまる。それが、この日の条件でした。加えて、途中から海の状態は悪化しています[20][17]

この日は、泳ぎ切れたかどうかを競う日ではなかった

10時間24分が経ったところで、グライツェは船に引き上げられました。寒さと悪化した条件のためです。ドーバーまでは、まだ数マイルが残っていました[20][17][24][31]。残りの距離は7マイルとも8マイルとも伝えられ、確定していません[24][17]

つまり、この日の泳ぎは完泳ではありません。彼女は泳ぎ切れませんでした。

それでも、2週間前の10月7日の横断は、いまもチャンネル・スイミング・アソシエーションの記録として残っています[15]。10月21日に泳ぎ切れなかったことは、10月7日の記録を打ち消しませんでした。この日に問われていたのは、彼女が泳げるかどうかではなく、泳ぐところを人が見ているかどうかだったからです。

動き続けた時計について書き残したのは、本人とロレックスだけだった

動き続けた時計について書き残したのは、本人とロレックスだけだった

引き上げられたとき、首のリボンの先で時計は動いていました。そう書き残しているのは、彼女自身です[31][32]

彼女は4日後、「信頼でき、正確な相棒だった」と書き送った

1927年10月25日、グライツェはロレックスへ一通の手紙を送ります。使った人が、使った道具についてメーカーへ書き送る推薦状です[31][32]

そのなかで彼女は、この時計を「信頼でき、正確な相棒だった」と記しました。冷たい海から高温の船室へ急に移されても動きが乱れず、それを見た新聞記者が驚いた、とも書いています[31][32]

誤差の秒数も、確かめた人の名も残っていない

ここが、この物語で最も足元の弱い部分です。時計が何秒進んでいたのか、あるいは遅れていたのか。その数値は残っていません。驚いたという記者の名前も、時計を検査した時計師の記録も、本記事の調査では見つかりませんでした[31][32][9]

しかも、この日の所要時間である「10時間24分」も、先に挙げた水温も、出所は同じ一通の推薦状です[31][32]。この出来事について書き残したのは、時計を使った本人と、時計を売る会社の二者でした。どちらも当事者です。

嘘だと言っているのではありません。確かめた第三者がいないまま100年が過ぎた、ということです。「海の中でも正確に時を刻み続けた」という一文はいまも繰り返し語られていますが、その根拠は、この一通の手紙と、そこから作られた広告です。

1か月後、デイリー・メールの一面がまるごとオイスターの広告になった

1か月後、デイリー・メールの一面がまるごとオイスターの広告になった

泳ぎからおよそ1か月後の1927年11月24日、デイリー・メールの一面全面がロレックスの広告になりました[9][14][31]。新聞の顔にあたる面を、まるごと一社の広告が占めた形です。

広告が語ったのは、泳ぎ切れなかった一日ではなく、動き続けた時計だった

広告が前面に出したのは、10時間を超えて海水の中にあっても時計が時を保った、という一点でした[31][14]。ロレックスが自社史で紙面の文言として示しているのは、”The Rolex wrist watch: the world’s best by every test”(あらゆる試験において世界最良の、ロレックスの腕時計)という一文です[9][14]

同じ一日に、泳者はドーバーまで数マイルを残して引き上げられています。二つは、同じ日の別の側面です。広告が選んだのは、道具のほうでした。

なお、この紙面の全文は本記事の調査では確認できていません。原広告の画像を紹介するページは存在しますが[33]、確認できた範囲を超えて引用することは避けます。

当時の新聞は、海峡横断の後援者でもあった

ここで一つ、時代の条件を挟んでおきます。当時の新聞は、海峡横断を報じる側であると同時に、賞金を出し、空撮の飛行機を手配し、伝書鳩で原稿を運ばせる側でもありました[17][31]。ローガンが受け取ったとされる賞金も、新聞社が出したものだとされます[23][24]

出来事を作る側と伝える側の境界は、いまより曖昧でした。一面の全面広告も、その延長線上にあります。

ロレックスはその後も、水槽と山と競走路で同じ証明を繰り返した

ロレックスはその後も、水槽と山と競走路で同じ証明を繰り返した

1927年の泳ぎは、一度きりの出来事では終わりませんでした。ロレックス自身は、この出来事を、実際に道具を使う人物へ製品を託し、その体験を広告に載せるという手法——同社が「testimonee(証言者)」と呼ぶ広告——の起点と位置づけています[9][14][34][35]。以後、証明の舞台は海の外へ広がっていきます。

店のショーウィンドーに、水を張った鉢に沈めた時計が置かれた

1930年代、ロレックスは広告でオイスターを金魚鉢に入れ、店頭のショーウィンドーでも水に沈めた状態で展示しました[14][34]。通りがかった人が、ガラス越しに動いている時計を見られるという仕掛けです。

エベレストの空と陸上の速度記録にも、時計が同行した

舞台は海と店先だけではありません。1933年にはエベレスト上空を飛ぶ飛行に、1935年には陸上の速度記録への挑戦に、それぞれ時計が同行しています[14][34]。性能を語るのではなく、性能が示される場面を用意して見せる。同じ型が繰り返されました。

ほかの会社も、それぞれ別の基準で「最初」を名乗った

同じ時期、ほかの会社も水に強い時計を進めています。オメガは1932年のマリーンを、商業的に入手できた最初のダイバーズウォッチと説明しています[36]。パネライは1935年から、イタリア海軍向けの潜水用時計の試作を始めたと記します[37]。ブランパンは1953年のフィフティ ファゾムスを、自社の起点に置いています[38]

ここでも、ボルジェとドポリエをめぐる先ほどの論争と同じことが起きています。いずれも各社自身の記述であり、どれかが嘘というわけではありません。

1927年のこの一日が変えたのは、誰が最初かという順位ではありませんでした。密閉ケースという構造と、一つのブランドの名前が、広告の上で強く結びついた。性能をどう示すかという方法における、転機のほうです。

首から下げられたその一本は、2025年に約173万ドルで落札された

首から下げられたその一本は、2025年に約173万ドルで落札された

首から下げられていた時計は、泳ぎのあとも残りました。持ち主が変わりながら、100年近く手から手へ渡っています。

2000年の値段は、£17,037だった

グライツェの手を離れたあと、この時計は家族に受け継がれました[21][22]。1976年9月22日には、オイスターの50周年を記念してグリニッジで開かれた催しで展示されています[21]

2000年、クリスティーズのオークションに出品され、17,037ポンドで売却されました[21][20]。以後25年間は、個人の所蔵品として表に出ていません[22][20]

落札額は、買手手数料を含めて CHF 1,392,000 だった

2025年11月9日、ジュネーブのサザビーズ「Important Watches」の Lot 134 として、この時計は再び競売にかけられました[22]。結果は、落札者が別途支払う「買手手数料」を含めて、スイスフラン1,392,000です[22][39]

買手手数料とは、落札者がオークションハウスへ支払う手数料のことで、会場で読み上げられる金額とは別に加算されます。報道では、この額が米ドルに換算されて約173万ドルと伝えられました[30]。原通貨はスイスフランで、ドルの額は換算値です。

この個体が「その一本」とされる根拠は、裏蓋の刻印と来歴にある

なぜこの個体が、あの日に首から下げられていた一本だと分かるのか。根拠は二つです。

一つは裏蓋の刻印です。そこには “Miss M. Gleitze. The Companion “Oyster”. Vindication Channel Swim. October 21st. 1927.” と刻まれています[21][22]。持ち主の名、時計の呼び名、泳ぎの名、そして日付。刻まれた日付が10月21日であることは、本記事が「時計が海に入ったのは再挑戦の日だけだった」と書く根拠でもあります。

もう一つは来歴の記述です。本人から家族へ、2000年のクリスティーズへ、25年の個人所蔵を経て2025年のサザビーズへ[21][22]。ただし、この来歴を書いているのは、いずれも時計を売る側です。独立した鑑定機関による照合報告は、本記事の調査では確認できませんでした。

あなたの腕時計の「30m防水」は、泳ぐための表示ではない

あなたの腕時計の「30m防水」は、泳ぐための表示ではない

この一本は特別な来歴を持つ品ですが、同じ設計思想の痕跡は、いま手首にある時計にも残っています。ただし、そこに刻まれている数字のほうは、少し事情が違います。

いま売られている腕時計の多くには、「WATER RESISTANT 30m」あるいは「3気圧防水」といった表示があります。この表示は、1927年の海から直接生まれたものではありません。

3気圧は雨と手洗いのため、泳げるのは5気圧から

セイコーとシチズンは、どちらも同じ趣旨の説明を公開しています。3気圧、一般に30メートル表示にあたる耐水性は、雨や汗、洗面のときの水滴に耐えるためのもので、水泳には使えません[40][41]。水泳に使えるのは5気圧からです[40][41]

「30m」は、30メートルまで潜れるという意味ではありません。静かな水の中で一定の圧力をかけて試験した値であり、泳ぐように水を切る動きが加わると、表示された値を超える圧力が瞬間的にかかります[40][41]。実際に何をしてよいかは、お使いのモデルの取扱説明書に従ってください。

表示の決まりは、この物語の数十年あとに作られた

この表示の決まりを定めているのは、国際標準化機構(ISO)が出す国際規格です。日常的に使う耐水腕時計は ISO 22810 が扱い[42]、潜水用の時計は ISO 6425 という別の規格が扱います[43]

ISO 6425 の初版が出たのは1982年[44]、現行版は2018年です[43]。ISO 22810 は2010年の版が使われています[42]。いずれも、1927年の泳ぎから半世紀以上あとに、別の場所で作られた決まりです。1927年は、この系譜の起点ではありません。

「完全防水」という言い方が消えたのは、そんな状態が存在しないから

英語の “-proof” は、「〜を通さない」「〜に耐えきる」という言い切りの接尾語です。米国の連邦取引委員会(FTC)は、かつて時計業界向けに出していた指針のなかで、”waterproof” という語を使わないよう求めていました[45]

この指針は1999年に廃止されますが、廃止の際の説明でも、”proof” は絶対的な保護を連想させる語であり、時計にそのような状態は存在しない、という理由づけが示されています[45]。一つの日付で世界じゅうの表記が切り替わったわけではありません。それでも、いま裏蓋に刻まれているのが “water resistant”(耐水)であって “waterproof” ではないことの背景には、この考え方があります。

1926年の広告が “waterproof” と言い切れたのは、その語がまだ使えた時代だったからです。

受け継がれたのは、ねじで締めるという考え方だった

いまの腕時計で、リューズをケース側にねじ込んで締める仕組みは、スクリューダウン・クラウンと呼ばれています[6]。ねじで締める裏蓋も、開口部をゴムのパッキンで押さえる設計も、広く使われています[40][41]

ただし、これを一本の系譜として描くことはできません。ケースの合わせ目を減らそうとしたボルジェ[7]、水に沈めることを前提に設計したドポリエ[2]、リューズにねじを切ったペルゴーとペレ[5]。いまの構造は、これらの上に重なっています。

1927年10月21日に起きたことを、もう一度並べておきます。一人の泳者は、ドーバーまで数マイルを残して引き上げられました。首から下げられた一本の時計は、そのあいだ動いていたと記録されています。そして、その記録を書き残したのは、時計を使った本人と、時計を売った会社でした。

きれいに整った成功譚ではありません。それでも、この日にはっきりしたことが一つあります。性能は、工房の水槽の中で示しても、見た人の数だけしか伝わらないということです。ロレックスが選んだのは、条件を管理できない海へ時計を出し、大勢が見ている場所で10時間を過ごさせることでした。

あなたの腕時計の裏蓋にある数字は、この一日から直接生まれたものではありません。表示の決まりは、数十年あとに別の場所で作られました。受け継がれたのは、ねじで締めて閉じるという構造と、性能は人前で示すものだという考え方のほうです。今度その裏蓋を見るとき、そこに刻まれた数字の後ろには、機械の作り方だけでなく、それを誰がどう確かめたかという長い手続きが並んでいます。

本記事は、スイスと米国の特許原文、チャンネル・スイミング・アソシエーションの記録、当時の報道、ロレックスの自社史、オークションハウスの記述などをもとに構成しています。次の3点は本文でも触れましたが、あらためて記します。第一に、「時計が正確に時を刻み続けた」ことを裏づける記録は、グライツェが泳ぎの4日後にロレックスへ宛てた推薦状と、ロレックス自身の広告に限られます。誤差の秒数も、それを確かめた人の名も残っておらず、「10時間24分」「水温51〜58°F」という数値も同じ推薦状ひとつに遡ります。第二に、1927年10月21日の泳ぎは完泳ではありません。ドーバーまで数マイルを残して引き上げられています。第三に、「世界初の防水腕時計」という位置づけは基準の取り方で変わります。ねじ込み式リューズには先行特許があり、密閉ケース自体にも先行例があります。ロレックスが先行特許の権利を取得したという説明も、譲渡の記録までは確認できていません。当時の情景の一部は、資料に基づく再構成です。

参考資料

  1. Smithsonian National Museum of American History「Elgin Wristwatch (nmah_851776)」(2026年8月1日参照)
  2. 米国特許庁「US1268821A — Watchcase(Charles L. Depollier)」(1917年10月6日出願/1918年6月11日公開・Google Patents収録)
  3. 米国特許庁「US1292441A — Watch(Charles L. Depollier)」(1918年3月18日出願/1919年1月28日公開・Google Patents収録)
  4. Rolex「The challenge of waterproofness: A promise of reliability」(2026年8月1日参照)。**ブランド自身の記述であり、1927年のウィルスドルフ発言の一次資料(原文)には到達していない**
  5. スイス特許庁「CH114948A — Winding watch(Paul Perregaux/Georges Perret)」(1925年10月30日出願/1926年5月17日公開・Google Patents収録)
  6. スイス特許庁「CH120848A — Winding watch(Hans Wilsdorf)」(1926年10月18日出願/1927年6月16日公開・Google Patents収録)
  7. 米国特許庁「US478734A — Watch Case(François Borgel)」(1891年11月18日出願/1892年7月12日公開・Google Patents収録)
  8. vintagewatchstraps.com「The waterproof Borgel case」(2026年8月1日参照)。**個人研究者のサイト。主要な根拠は source-7 の特許原本に置いている**
  9. Rolex「Rolex History — 1926–1945」(2026年8月1日参照)。**ブランド自身の自社史。10月7日と10月21日を一続きにまとめて語る点に注意**
  10. Waltham Watch Company「Charles L. Depollier」(2026年8月1日参照)
  11. LRF Antique Watches(Stan Czubernat)「Depollier: World’s First Waterproof Watch」(2026年8月1日参照)。**この説を唱える単一の研究者の調査に遡るため、本記事では特許原本(source-2・source-3)で確認できる範囲のみを使っている**
  12. SJX Watches「Insight: Patents in Watchmaking」(2021年2月)
  13. Sotheby’s「The Heroic Woman & The Watch That Made Rolex Rolex」(2025年10月3日)。**出品告知=販売当事者による記述**
  14. Rolex「Oyster Story — A Visionary Undertaking」(2026年8月1日参照)。**ブランド自身の自社史**
  15. Channel Swimming Association「Mercedes Gleitze 1927」(2026年8月1日参照)。伴走船・操船者・立会人の欄はいずれも不明のまま登録されている
  16. Mercedes Gleitze family archive「Summary of Mercedes’ personal and swimming achievements」(2026年8月1日参照)
  17. HISTORY(A&E Television Networks)「The Woman Who Swam From Europe to Africa」(2025年8月27日公開/2025年9月2日更新)
  18. Brighton & Hove Women’s History Group「Mercedes Gleitze (1900-1981)」(2026年8月1日参照)
  19. NYC Department of Records & Information Services「Perseverence: Gertrude Ederle Swims the English Channel」(2023年8月11日)
  20. BBC News「Rolex worn on Channel swim could fetch up to £1m」(2025年10月3日)
  21. Christie’s「An Historically Important and Very Early Waterproof Rolex Oyster Wristwatch Worn by Mercedes Gleitze(Lot 714)」(2000年開催のオークション)。**販売当事者による記述。外観・寸法・刻印の記載は最も詳しいが、来歴の主張は売る側のもの**
  22. Sotheby’s「Important Watches Part I(Lot 134: ‘The Companion Oyster’)」(2025年10月27日〜11月9日)。**販売当事者による記述。落札額と手数料条件の出所であり、同時に来歴の主張の出所でもある**
  23. Museum of Hoaxes(Alex Boese)「The Channel Swim Hoax (1927)」(2026年8月1日参照)。**二次資料。賞金額・罰金額は当時の紙面で確認していないため本文では金額を強調していない**
  24. World Open Water Swimming Association「The Truth Behind Mercedes Gleitze’s Vindication Swim — and the Hoax That Changed Open Water Swimming」(2025年11月16日)。**記事内に制度史の説明の揺れがあるため、単独では断定の根拠にしていない**
  25. British Newspaper Archive(Findmypast)「Amazing swimming career of Mercedes Gleitze」(2023年6月21日)。**当時の紙面を引用しているが、紙面そのものには到達していない**
  26. The New York Times archive「GIRL ADMITS HOAX IN CHANNEL SWIM」(1927年10月16日)。**見出しと日付のみ確認。本文は閲覧制限のため、見出しが示す範囲を超えて引用していない**
  27. Dover.UK.com「English Channel swim by Mercedes Gleitze on 7 October 1927」(2026年8月1日参照)
  28. Channel Swimming Association「About the CSA」(2026年8月1日参照)
  29. Hodinkee「Mercedes Gleitze’s 1927 Rolex Oyster Comes Up For Auction For The First Time In 25 Years」(2025年10月3日)
  30. Robb Report「A Rolex Worn by the First British Woman to Swim the English Channel Just Sold for $1.73 Million」(2025年11月10日)。米ドル額は換算値
  31. Forbes(Anthony DeMarco)「The Historic Mercedes Gleitze Rolex Oyster Could Fetch $1.3 Million」(2025年10月3日)。**「10時間24分」「水温51〜58°F」「信頼でき、正確な相棒だった」はいずれも1927年10月25日付の推薦状という単一の原典に遡る。source-32 も同じ原典の引用であり、独立した2件の根拠ではない**
  32. Wallpaper*「Sotheby’s is auctioning Mercedes Gleitze’s Channel-crossing Rolex」(2025年10月18日)。**source-31 と同じ推薦状の引用**
  33. RolexMagazine.com「1927 Rolex Oyster Introduction Advertorial & Brochure」(2026年8月1日参照)。**原広告の所在確認にのみ用いており、逐語引用の根拠にはしていない**
  34. Rolex「Behind the crown — The Oyster」(2026年8月1日参照)。**ブランド自身の自社史**
  35. Watchonista「The Forgotten Rolex Testimonees」(2026年8月1日参照)
  36. Omega「1932: OMEGA Marine, the First Dive Watch Commercially Available」(2026年8月1日参照)。**各社自身の自己史**
  37. Panerai「The History of Panerai Watches」(2026年8月1日参照)。**各社自身の自己史**
  38. Blancpain「Fifty Fathoms, one legend for every wrist」(2026年8月1日参照)。**各社自身の自己史**
  39. Time+Tide Watches「Pietro’s report from Geneva’s November 2025 auctions」(2025年11月13日)。スイスフラン建ての落札額を裏づける
  40. Seiko Watch Corporation「Water Resistance」(2026年8月1日参照)
  41. Citizen Watch Co., Ltd.「Water Resistance」(2026年8月1日参照)
  42. 国際標準化機構(ISO)「ISO 22810:2010 Horology — Water-resistant watches」(2026年8月2日参照)
  43. 国際標準化機構(ISO)「ISO 6425:2018 Divers’ watches」(2026年8月2日参照)
  44. 国際標準化機構(ISO)「ISO 6425:1982 Divers’ watches(初版)」(2026年8月2日参照)
  45. U.S. Federal Trade Commission / GovInfo「Guides for the Watch Industry, 16 CFR Part 245: Rescission」(1999年6月9日・Federal Register)
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この記事を書いた人

ロレックスを中心に高級時計を追い続けるウォッチ愛好家。各ブランドの歴史やモデルの変遷、中古で選ぶときのポイントまで幅広く調べ込み、公式情報と実際の市場をもとにした正確な解説を心がけています。魅力だけでなく注意点も率直に伝えることを信条としています。

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